「従業員同士の連絡を取ることが非常に難しい状況の中で、安否確認システムがあることで安心感を得られたことは非常にありがたかったです」 上越フーズ株式会社様
2025/01/27.

上越フーズ株式会社
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「当社は、上越テクノセンター様から誘致を受けて池田糖化工業株式会社という広島の会社のフリーズドライ事業の工場としてスタートした会社です。主にBtoB向けのフリーズドライ食品や冷凍食品、小袋包装の製造をしています」
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当時、自治体などから最初に指示がなかったことが、後々考えると怖かったし、驚きでした。

- 2024年元旦の能登半島地震が発生した際、上越市は震度5弱という記録があります。その時に初動対応として、安否確認はどのように行っていましたか?
(村上社長)私は実家のある京都におりました。実家は日本海側にありましたので、強い揺れは現地でも確認したのですが、上越から離れた地にいたこともあり実感がありませんでした。連絡が取れるメンバーも一部にはいましたが全員とは連絡が取れず、会社がある上越の状況の把握が非常に難しい、というところから地震への対応がスタートしました。
同席している岡野部長も、自身が避難をしている立場だったので入ってくる情報が限られていましたし、親会社やグループ会社などから私の方に連絡が入ってきましたので、外部とのやり取りは私の方で取っておりました。
- 地震当時は「安否コール」をご利用ではなかったと思いますが、会社としての体制として緊急連絡網などは用意されていましたか?
(村上社長)基本的には岡野部長から一斉配信を行う体制にはしていたのですが、会社に連絡することに躊躇があるなどの理由で、全員のメールアドレスを揃えるのは難しかったです。そのため、岡野部長が電話などの複数の手段を使って確認を取ってくれました。
- それは大変でしたね。従業員数も多いと思いますが、最終的に状況確認が取れたのは何日後でしたか?
(岡野部長)当日は全員確認できず、翌日の正午ごろに全員の安否確認が取れたので、地震発生からおよそ19時間程度はかかったという計算になるかと思います。
- 岡野部長からも当時困ったことなどを伺いたいのですが、いかがでしたか?
(岡野部長)部門長の中には部下の携帯などの連絡先を把握している方もいて、すぐに連絡を取ってくださったりしたのですが、大半の情報は私が持っていたので、かなり負担だと感じながらも、一人ひとりに私の方から電話をしていました。
先ほども社長からお話があったように、「メールアドレスを収集して一斉配信できるように」という取り組みを始めたのですが、得手不得手があったり、個々の設定により受信ができなかったりといった問題があって、途中で頓挫してしまいました。そういった状況での地震でしたので、ほとんど電話連絡しか手段がなかったというのが一番困りました。
- 地震の発生で社屋などに何か物理的な被害はありましたか?
(岡野部長)当社には第一工場と第二工場があります。
第一工場は耐震的にもしっかりした造りになっており、少し壁に穴が空いたり、機械が移動したり、器具が落ちて散乱するなどの被害はありましたが、致命的なものはなかったので人海戦術で直して、復旧は割とすぐにできました。
第二工場は高さがある建物なので、上部の揺れが非常に激しかったようで、壁や天井が落ちたり、床に段差ができていたり、機械もかなり移動してしまいました。第一工場よりは復旧に時間がかかりましたが、こちらも致命的な被害は幸いにもありませんでした。
工場の稼働に関して被害はほとんどなかったので、そこは良かったと思います。
- そうすると一両日で復旧ということにはならなかったと思いますが、完全に復旧するまでにどのくらいかかりましたか?
(岡野部長)第二工場に関しては、1週間ごとに段階的に進めました。完全な復旧には3週間かかったかと思います。本格的な修理は1ヶ月後になりましたが、段階的に復旧を進めて操業できる状態になりましたので、工場稼働を止めなければならないということはありませんでした。
- 御社の年末年始のお休みはいつからいつまででしたか?
(村上社長)12月29日から1月4日まででした。 従業員もそのご家族も怪我はなく、自宅も倒壊などの被害がなかったので、休むことなく普通に出社してくれました。それがすぐに業務を再開できた要因の一つだと思います。
- 村上社長は京都の実家にいらっしゃったとのことでしたが、上越市まで戻って来るときの交通で困ったことはありましたか?
(村上社長)移動は自家用車を使っておりましたので、行きは通常通り北陸道を通っていたのですが、上越へ戻る際には北陸道が緊急車両専用になっていたため、名神高速道路や中央道を通って内陸側から回り込むように帰ってきました。戻ったのは1月2日でした。
- 御社の親会社様やグループ会社様の被害などはいかがでしたか?
(村上社長)東日本に関しては、私共の工場の他に埼玉県と栃木県に工場がありますが、そちらの方は設備に関する被害はなかったと聞いております。あとは東京に営業拠点がありますが、そちらも被害はなかったそうです。
連絡としてはこちらに問い合わせを頂き、その都度返信していたという状況でした。
- お取引先様の被災などはいかがでしたか?
(村上社長)原料に関しては県外の取引先様が多いので、供給が止まることはありませんでした。
(岡野部長)こちらにいる業者様についても、遅れはありましたが、致命的な供給停止はありませんでした。
- 上越市内の被害ですとか、地元の様子でご存知のことがあればお聞かせください。
(岡野部長)1月1日の地震が起こったとき、明確な避難指示があまりなくて、「自己判断に任せる」という印象がありました。私の自宅は海に近いところにありまして、地震が起こってすぐニュースを見たら「津波が来るから逃げてください」という呼びかけがあったので、逃げなければと思って外に出たのですが、特に自治体などからの指示がなく、結局自己判断で「あそこに避難所があった」と覚えていたところへ向かいました。
周りの人、近所の人に聞いても、車で逃げる人もいれば徒歩で逃げる人もいて、そのあたりの指示も全くありませんでした。最初はそれが不思議で、「一分一秒を争う時が来ても、これでは間に合わない」と思い、皆さん本当に戸惑いながらなんとなくその避難所に集まっている感じでした。
避難所では皆さんずっとスマホなどでニュースを見ていましたが、津波警報がなかなか解除されず、避難解除もいつになるかわからない状況でした。そうした情報も避難所では全く提供されず、なんとなく時間が過ぎるに従って、前にいた皆さんが「もう帰ってもいいのでは?」という話をしていて、誰かが「自己判断でいいそうです」とか「万が一何かあっても、それは知らないよ」と言い出しました。
結局、中には一晩泊まった方もいましたが、ほとんどの人が「もう遅いし帰ってもいいかな」という感じで、自己判断で家に帰りました。やはり最初に指示がなかったことが、後々考えると怖かったし、驚きでした。
- 確かに上越には津波警報が発令されました。皆さん本当にびっくりされて、パニック状態になられる方もいらっしゃるのが普通かなと思うのですが、そういった時に、例えば自治体だったり町内会だったり、誰か身近で取りしきる方がいらっしゃらず、各々自己判断で避難所に移動したりというような感じだったのでしょうか?
(岡野部長)はい、そうです。実は避難所も鍵がかかっていて、後から聞いた話では、ガラスを割って避難所に入ったということもあったようです。それは市内でも何箇所かあったようです。今まで訓練も行われておらず、その情報が周知されていなかったこともあり、初動はそのような感じでした。皆さん、周りの人もなんとなく避難所に来た、というような感じでしたね。
地区としては直江津地区なのですが、後に津波が1キロほど離れた川を遡上したと聞きました。被害はありませんでしたが、実際に津波が来ていたと知り、ゾッとしましたね。
- 貴重なお話、ありがとうございます。当時、スーパーやコンビニなどは通常通り営業されていましたか?
(岡野部長)通常通り営業されていたと聞いております。上越市内だとイオンさんが比較的大きな店舗なのですが、初売りで普通に店も開いており、車も多く止まっていたという話を聞きましたので、コンビニも通常通り営業していたと思います。
- 買い占めのようなことはありましたか?
(岡野部長)買い占めのような状況にはならなかったと思います。おそらく、皆さん逃げるのに精一杯だったため、初日や翌日もそういったことはなかったと思います。
スピード感を考えると、発生6時間以内に安否確認を終えるべきだったと思います。

- BCPの状況について伺いたいと思います。御社の方でBCPマニュアルなどの策定されたものはありますか?
(村上社長)はい、私共の親会社と共通のBCPマニュアルがあり、それに沿って対応しました。今の形になったのは最近ですが、BCP策定の開始は東日本大震災の時だったと思います。
- 地震に限らず、御社として有事の際にすぐに対応しなければならない点などのお考えはございますか?
(岡野部長)今回、BCPを見直して感じたのですが、マニュアルだけでなく、当社は製造をしている会社ですので機械ごとにチェック表も決められています。今回は完全には実施できなかった部分もありましたが、最低限のチェックを行い、機械が使える状態まで持っていけましたので、しっかり対応できた方だと思います。
(村上社長)今回の地震で変わった点としては、当社のグループには製造本部と営業本部があり、私たちは製造本部に属しています。以前は製造本部長が緊急時の対策本部長的な役割を担っていましたが、今回からは製造工場についての判断や指示を各社の社長に委ねる形に変更されました。非常時は現地での判断が重要になるため、現場での判断は各社の社長に任せ、外部との情報共有は別途行うという体制になりました。
- 復旧にあたって最も重要なのは人だと思いますが、初動対応として従業員の安否と出社可否をする目標時間は定められていますか?
(岡野部長)今回の地震後に、従業員に会社側の対応についてアンケートを取りました。「こんな大変な時に電話をくれてありがとう」という意見も多かったのですが、「確認が遅かった」や「親族が勤めている会社は当日に確認が終わっていた」という意見もありました。スピード感を考えると、当日のうちに確認を終えるべきだったと思います。
目標としては、できれば6時間以内に全員と連絡を取れれば良かったかなと、今は感じています。
従業員や役員が避難している中で、このようなシステムがあると安心です。

- 「安否コール」を知ったきっかけを教えてください。
(岡野部長)今回の地震の際に私が電話をかけ続けていたと村上社長が報告を受けて、「これはなんとかしなければ」というのを一番に感じてくださいました。ちょうど当社のグループ会社全体でもこれを機に何か連絡手段が必要だという話が出始め、各社の中で安否確認システムを導入しているところもありましたのでインターネットで検索したところ、「安否コール」がヒットして知りました。
- その時にいろいろなメーカーさんの製品が検索でヒットしたと思うのですが、他社と比べて「安否コール」の最初の印象としてはいかがでしたか?
(岡野部長)何社かと連絡を取って説明を聞いたり見積もりを取ったりしたのですが、先程の「メールの配信を断念」という経緯から、誰でも簡単に設定できるかどうかが、私が最も重視していた点でした。メール配信の際の大変さが身にしみていたので、その部分が楽になることを期待して、その点でメールアドレス不要の「安否コール」が一番良かったですね。
- 先ほどお話を伺いましたが、従業員さんの中にメールアドレスを会社に教えたくないという方がいらっしゃるということを他の「安否コール」ユーザ様からもよくお聞きします。
そのお話とつながってくるのですが、実際に導入して、従業員の皆さんに一斉に周知をして登録してみるとなった時に、従業員のみなさまは登録していただけましたか?
(岡野部長)はい、おかげさまで在籍している全員が登録してくれました。管理している方も、登録者がどんどん増えていくのを見て嬉しく思いました。やはり「登録が難しい」と言う従業員も何人かいましたが、個別に一緒にやりながら登録してみるとスムーズに登録できたので、「こんなすぐにできるんだ」というのを逆にわかってもらえて、やりやすかったですね。
- 他に導入の決め手となった、「他社と比べて『安否コール』はここが優れていた」という点があればお聞かせください。
(岡野部長)やっぱり登録のしやすさですね。他社さんのシステムは少しそこが難しそうだというのを、説明を聞いている中で感じましたし、何人かガラケーを使っている従業員もいますが、その方々にも対応できる点が良かったと思いました。
- 登録は全員無事に済んで、そこから今度は訓練などの配信についてお聞きしていきたいのですが、実際に配信訓練やテストというのはされましたでしょうか?
(岡野部長)はい。皆さんの登録が完了した7月中頃に、「正常にやり取りができるか?」ということで、一斉配信で訓練を行いました。
- 訓練のときに困ったことや課題に思ったことがあれば教えてください。
(岡野部長)訓練を事前に告知し、回答の締め切りも決めていたのですが、何人かが見ておらず、回答率100%を達成できませんでした。これは私共の課題ですが、本当の災害は当然予告がありませんから、意識づけするために継続して訓練をしていかないと根付かないのだろうと思いました。
- その時の回答率は何%でしたか?
(岡野部長)たしか92%だったと思います。期日を過ぎた後、回答していない人に声をかけたのですが、それでも数人からは回答を頂けませんでした。
- 機能面で伺いたいと思います。掲示板という機能がありますが、既にご利用ですか?
(岡野部長)先日、会社の記念行事のパーティーがあったのですが、村上社長から「使えるのではないか?」との提案があり、その時に参加者に向けて席次表を掲示してみました。他にも、アレルギーの有無を確認するために、手動配信のアンケート機能を活用しています。
- ご活用いただき、ありがとうございます。
今後の目標や弊社に期待していることがあればお聞かせください。
(村上社長)昨年、2029年に向けた経営ビジョンを策定し、その中に「みんなが働きやすい職場環境を作ろう」という目標を盛り込みました。それにも合致しますし、お客様からの信頼という点でも、「安否コール」に非常に助けられたと感じています。従業員のやる気やモチベーションが、我々の業績アップにもつながると思います。そういった中で、私たちも生産活動を通じて社会に貢献していきたいと考えております。
(岡野部長)今回の能登半島地震を通じて、従業員が元気に働けることが一番大切だと改めて感じました。多くの従業員が会社のことを心配して連絡をくれたので、会社は従業員にとって、自宅と並んで大切な「もう一つの居場所」なのだろうと思います。そこで、「今、大丈夫です」と常に発信し、お互いの状況を把握できることが、一番良いやり方だと思います。会社として「大丈夫だ」という情報を、正確に従業員に伝える環境を整えることが、非常に大切だと感じました。
- 最後に、現在安否確認システムの導入を検討している企業様に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。
(村上社長)当社は新潟県にあります。直接的な被害はありませんでしたが、中越沖地震や東日本大震災、そして今回の能登半島地震を経験し、従業員が実際に避難しなければならない状況になることを想像できていませんでした。
従業員や役員が避難している中で、会社として連絡を取ることは非常に難しい状況でした。このようなシステムがあることで、役員は従業員の安全を確認できて安心ですし、従業員も会社がしっかり対応していると感じることができました。その安心感を得られたことは非常にありがたかったです。
なかなか自身のこととして捉えないと、このようなシステムの導入に踏み切るのは難しいかもしれませんが、安心感を得るためにも、ぜひ導入を検討されることをお勧めします。
(岡野部長)能登半島地震のような非常時がないと、平時にはこのようなシステムを導入することが難しいかもしれません。平時には従業員から「個人情報があるので嫌だ」と言われることもあり、難しいことが多いでしょう。しかし、今回のような災害があったからこそ取り組めたこともあります。登録のしやすさは、使っている側としても強調できる点だと思います。
-本日は貴重なお話を頂き、ありがとうございました。
施設概要

「世界中のコミュニケーションをクラウドで最適に」することをミッションとして掲げ、2000社以上の法人向けのデジタルコミュニケーションとデジタルマーケティング領域のクラウドサービスの開発提供を行う防災先進県静岡の企業。1977年創業後、インターネット黎明期の1998年にドメイン取得し中堅大手企業向けにインターネットビジネスを拡大。”人と人とのコミュニケーションをデザインする”ためのテクノロジーを通じて、安心安全で快適な『心地良い』ソリューションを提供している。
- 事業内容
- デジタルマーケティング支援
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